熊本大学 工学部 材料・応用化学科 物質材料工学 教育プログラム (旧マテリアル工学科)

ようこそ

材料・応用化学科物質材料工学教育プログラム(旧マテリアル工学科)は、主に金属や無機物質からなる構造材料および機能材料に関する専門知識と専門技術をもち、豊かな社会の持続的発展に寄与することのできる人材の育成を目標にして教育・研究に取り組んでいます。人間社会が自然環境と調和しながら持続的に発展していくためには、物質および材料の構造や特性発現メカニズムをマルチスケールで理解し、革新的、独創的な物質・材料および技術を開発して、環境保全や省エネルギー化などの喫緊の諸問題を解決していくことが必要です。

2年次からはじまる物質材料工学教育プログラムでは、これらの課題に対して論理的な思考力、果敢な実行力をもって研究・開発を推進することのできる人材の育成を目指しています。2年次および3年次では専門知識の習得と実験・演習による専門技術の修得に注力し、4年次からは研究室に所属し、世界最先端の研究に従事しながら実際の社会で役立つ能力を身につけます。

大学院自然科学教育部博士前期課程材料・応用化学専攻2年間を含めた6年一貫の教育プログラムを整えており、大学院へ進学することで、専門性をさらに高めることができます。物質材料科学においては、「概念軸(Design)」、「物質軸 (Synthesis)」、「研究手法軸(Characterization)」の三軸の有機的連携が重要と言われています。ものづくりに長けている日本の科学技術が今後、さらに発展するためには「物質軸」、「研究手法軸」のみならず、「概念軸」をより強く意識することが求められます。その点において、専門知識を修得した上で自身の専門分野およびその周辺を俯瞰する能力を身につけることは極めて重要です。博士後期課程に進むことで、その物事を俯瞰する能力を身につけることができるでしょう。我々、物質材料工学教育プログラムの教員一同は、学生皆さんが世界で活躍する独立した研究者になってもらいたいと願っています。

さあ、皆さんも熊本大学工学部材料・応用化学科物質材料工学教育プログラムで世界最先端の研究をしてみませんか。

学科長
山崎 倫昭

物質材料工学とは?

高強度なアルミニウム合金で作られた航空機、軽いマグネシウム合金で作られた環境に優しい次世代自動車、鉄鋼材料で作られた巨大建築物、高性能半導体によって作られた情報・ネットワーク環境など、身近なものから、宇宙空間に浮かぶ建造物まで、全ては優れた性質をもつ材料(マテリアル)によって支えられています。この材料に関する研究分野が「物質材料工学」です。物質材料工学は多くの産業の基幹技術であり、全ての産業を支える分野だからこそ、今、国際的な視野を持ち、新しい産業の担い手となる人材が、実社会から求められています。

沿革

1897

1897 五高工学部



旧制第五高等学校(五高)の設立当初の名称は官立第五高等中学校であったが、1894年に制定された第一次高等学校令によって高等学校に改組された。学校が設立したのは1887年5月で、これは西南戦争のわずか10年後である。設立当初は工学部がなかったが、1897年に設置された。当時、高等学校で工学部が設けられたのは三高と五高のみである。大学設立から工学部設置までの短期間に、明治熊本地震が起こり(1887年7月)、大日本帝国憲法が発布され(1889年)、日清戦争が起こった(1894~1895年)。さらにこの後すぐに日露戦争があった(1904~1905年)。何とも慌ただしい時代である。
 
当時の高校は現在の大学の教養課程に相当し、英語・ドイツ語・フランス語等の語学教育を行っていた。旧制第一高等学校は、元々東大の教養課程(予備門)であった。東京大学が創設されたのは1877年、西南戦争の真最中である。1886年に改称して帝国大学になるが、その際に予備門が切り離されて一高ができた。帝国大学はその後、1897年に京都帝国大学が設立したのを機に東京帝国大学と改称された。五高が設立した当時、学位を授与する教育機関は帝国大学と札幌農学校(現在の北大)の二校だけであった。札幌農学校が開校したのは東大より1年早い1876年で、当時は大学ではなかったが、学位の授与権が与えられていた。一見不思議に思えるこの状況は、北海道開拓の必然性から生まれたものである。1875年に屯田兵の募集が始まったが、入植しても北海道には食べるものが何もなかった。米はおろか味噌も醤油もない。肉や乳製品が食料として一般化したのは明治以降である。冷蔵庫がないので魚介類も沿岸部のみに限定される。そのため農業先進国のアメリカから多くの教員を招き近代化を図った。札幌農学校が大学に昇格したのは1906年で、そのときは農科大学という名称であったが、その一年後の1907年に東北帝国大学農科大学となった。これはつまり現在の東北大学の分校という位置づけである。しかし、この時点で東北大学の拠点が仙台に設置されることは決定していたが、1911年まで仙台には校舎が一つもなかった。北海道帝国大学が設立したのは1918年。これは第一次世界大戦が終結した年で大正時代である。九州帝国大学の設立はそれより少し早い1911年。こちらはギリギリ明治時代である。これらの大学の設立は、政府の資金だけでは到底不可能で、古河財閥の融資が大きく貢献した。古河財閥は銅山の経営で財を成した。住友財閥も然りである。
 
帝国大学になる前の東大の規模は、学生数が1600人程度と言われている。当時は大学が一校しかなかったため、これが日本全体における大学生の数ということになる。現在の大学院博士後期課程の卒業生は年1万5000人である。社会人ドクターを除くと9000人で、これは24歳人口の0.7%に相当する。現在の日本の総人口は当時の約3倍である。単純に数字で比較すると、当時の大卒は今のドクター卒よりも希少価値であったということになる。大卒の給料は職業により幅があるが、高等文官試験に合格して奏任官(キャリア官僚)になった場合は100~250円であった。帝国大学英文科卒の夏目漱石は一時期(1896~1903年)五高の英語教員だったが、このときの月給は100円である。当時の警官の月給は、一等巡査(現在の警部補に相当)でも10円であった。警官の月給を現在の給与水準(30万円)に置き換えて考えると、大卒の月給は300万前後ということになる。最近の学生はモチベーションが低いと教員達は嘆いているが、当時の給与水準に戻ったら、学生のモチベーションは上がるかもしれない。教員の給与水準が漱石並みになれば、教員のモチベーションも上がって一石二鳥である。
 

五高の第3代校長(1891~1893年)は柔道の創始者、嘉納治五郎師範である。校長は東京大学卒(1881年)である。柔道は東大生が作ったのである。柔道以外にも、大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)を設立し、その初代会長に就任した。教育者としては、五高の他にも宮内庁御用達の学習院(現在の学校法人 学習院)の教頭、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長、東京高等師範学校附属中学校(筑波大附属中学・高校)校長を歴任した。また、清国からの留学生のために1896年に設置された教育機関 “弘文学院” の校長でもあった。弘文学院は13年で閉校となったが、その生徒の中には魯迅も居た。日本人は魯迅のことをよく知らない人も多いが、中国では日清戦争後自虐的になってしまった中国人の心を救ったことで敬われる最重要人物である。
 

工学部は漱石が教員だった時代に設置された。漱石の他に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英語教員だったことも有名である(1891~1904年)。英国人の八雲は ”jujutsu (柔術)” を執筆し、柔道と日本の文化を欧米に紹介した。五高の卒業生で著名なのは、内閣総理大臣の佐藤栄作(1921年卒)と池田勇人(1922年卒)、物理学者で随筆家の寺田寅彦(1899年卒)、ブラジル移民の父として知られる上塚周平(1900年卒)らである。ブラジルの日系人コミュニティーの規模は約200万人であり、これは世界中の日系人の総数(約380万人)の半数以上である。今の若い人にはあまり馴染みがないかもしれないが、ブラジルは日本人が一番多く移民した外国である。
 

 
現在の熊大工学部同窓会(工業会)のルーツも五高時代に遡る。1899年に工学部生徒総代の願い出が校長に即日認可されて発足した ”工友会” が母体である。

1906

1906 熊本高工


日露戦争が終結した翌年、五高の工学部が独立して熊本高等工業学校(熊本高工)となった。熊本高工には採鉱冶金学科が設置された。熊本高工の本館の建屋は、現在も熊大事務本館(黒髪南キャンパス)として現役である。但し、創立時の建屋は1922年(関東大震災の前年)に火災で焼失した。現在の事務本館は、1925年に再建された熊本高工本館の建屋である。1926年に卒業生連絡組織として”熊本工業会”が創設され、工友会は熊本工業会の学生支部”校友会”と改称した。熊本工業会は1959年に”熊本大学工業会”(現在の同窓会の名称)と改称した。

1939

1939

第二次世界大戦が始まった1939年に、熊本高工では改組があった。採掘冶金学科が2つに分割され、冶金学科と採鉱学科になった。2年後、日本は真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まる。

1944

1944 熊本工専


第二次世界大戦も終盤になった1944年の4月1日、熊本高等工業学校は改称し、熊本工業専門学校となった。冶金学科は冶金科と改称した。同年11月に熊本はB29に初空襲を受け、翌年7月は大空襲である。

1949

1949 熊大


湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した1949年、熊本市内の6つの学校(第五高等学校、熊本高等工業学校、熊本医科大学、熊本薬学専門学校、熊本師範学校、熊本青年師範学校)を包括して、熊本大学が発足した。工学部と工学専攻科が設置され、その中の採鉱冶金学科(学部)と採鉱冶金学専攻(専攻科)が本教育プログラムの母体である。採掘冶金工学科は、熊本工専の冶金科と採鉱科が合併したものである。熊本大学が発足したのは5月31日、第一回入学式は9月1日であった。

1955

1955

高度経済成長が始まったのは1954年である。その翌年、熊大では改組があった。
 
学部: 採鉱冶金学科 → 金属工学科 (資源開発工学科と分離)
 
専攻科: 採鉱冶金学科 → 鉱山金属工学専攻

1962

1962

専攻科: 鉱山金属工学専攻 → 金属工学専攻(鉱山工学専攻と分離)

1965

1965 大学院(修士)

大学院工学研究科修士課程が設置された。名称は金属工学専攻である。
 

余談だが、1965年は全国で大学紛争が問題になり始めた年である。熊大でも1969年に工学部その他がストに突入し、卒業式が中止となり、工学部教授が監禁され、学生が本部を封鎖し、機動隊が導入されたという。大学院が設立されたが、当時は勉強どころではなかったかもしれない。紛争が終結して授業が再開したのは1969年7月である。

1986

1986 大学院(博士)

大学院工学研究科に博士後期課程が設置された。名称は生産科学専攻。
 
博士後期課程の第一期生は2019年現在、57歳ぐらいの筈である。

1988

1988

学部: 金属工学科 → 材料開発工学科 材料コース(資源開発工学科と統合)
 
当時は新素材ブームで、セラミックスやカーボンファイバー等の研究が注目され始めていた。金属工学科という名前ではそれらを網羅できないため、材料(マテリアル)に改称した。

1991

1991

大学院: 金属工学専攻 → 材料開発工学専攻 材料コース(資源開発工学専攻と統合)
 
学部の学科名称変更と同様の理由によって、遅ればせながら、大学院の専攻名も改称した。

1994

1994 週休二日

全学的に土曜の授業が廃止され、週休二日制となった。

1996

1996


学部: 材料開発学科 材料コース → 知能生産システム 工学科マテリアル系 (資源コースと分離、機械工学科と統合)
 
大学院: 材料開発専攻 → 材料システム専攻
 
現在居住する建屋(工学部研究棟I)に引越した。この当時は学部の学科ごとに建物が割り振られていた。現在はバラバラである。

2006

2006

学部: 知能生産システム 工学科マテリアル系 → マテリアル工学科 (機械システム工と分離)
 
大学院: 材料システム専攻 → マテリアル工学専攻
 
この改組によって機械系とは別の学科になったが、マテリアル工学科として独立していたため、大きな混乱はなかった。

2011

2011 MRC

2013

2013 パルスパワー


パルスパワー科学研究所が設置された。

2018

2018

学部: マテリアル工学科 → 材料・応用化学科 物質材料工学教育プログラム (物質生命化学工と統合)
 
大学院: マテリアル工学専攻 → 自然科学教育部 材料・応用化学専攻 物質材料工学教育プログラム
 
改組によって化学系の学科と合併した。材料・応用化学は3つの教育プログラムで構成されるが、当教育プログラムだけが建屋・ホームページ・文化が異なる理由は、このような歴史的経緯による。
 
この改組によって、学科全体の学生数は3倍になった。学生は2年次開始の時点で、各教育プログラムに配属される。つまり、2年次以降はこれまでと殆ど違いがないのであるが、1年次の授業カリキュラムは去年から大幅に変更された。

学生諸君に期待すること

アドミッションポリシー

物質材料工学は、材料(マテリアル)を原子レベルから理解して新しい材料やリサイクルを含む先進的な製造技術を開発する工学です。材料はすべての産業の基盤です。物質材料工学教育プログラムでは、新材料の開発によって、人間社会と自然環境が調和しながら発展していくことのできる産業のしくみを、基盤から築いていきたいと考えています。そのために次のような人を求めます。

1 マテリアルに科学的興味を持っていて、物質材料工学を通じて自然環境と調和した安全安心な社会を構築することに意欲を持っている人

2 マテリアルの構造や性質、製造技術に関する専門的な知識を身につけて、新材料の開発に携わる技術者として活躍したい人

3 幅広い教養を持ち、国際的に活躍できる物質材料工学技術者となることを目指している人

4 高等学校までの履修科目の基礎事項を理解し、特に数学、物理、化学のいずれかあるいは複数の科目において優れた理解力と応用力を有する人

5 自ら課題を発見し、計画を立てて学習する意欲のある人